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復活の兆候

2009.12.30.21:51


飼いネコのアスカの視力が回復しました。

ペットクリニックでは、失明の可能性ありと診断されていました。

ホットしているところに、電話がありました。

K森林組合長からで、3ヵ月の入院を終えて家に帰ったところだと言います。

さっそく訪ねてみると、かなり元気そうでした。会話が久しぶりの感じで、話が止まりません。

「八郷の里山は、石岡市を活性化させる原動力ですよ。東京から70㎞圏でこんな自然豊かな所はない」

「看板でも建物でも長野県のように規制して、景観をしっかりと守っていかないと」

「新しい感覚で時代を捉えていかないと、後手後手に回ってしまう」などなど。

とても80代半ばの発想とは思えません。おまけに、すぐにでも始動しそうな勢いです。

写真は庭に咲いたスイセンで、春の訪れをそっと告げていました。

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ゴミ拾い

2009.12.20.19:03


市役所から駅周辺にかけてのゴミ拾いに参加しました。

この奉仕活動には、約30人のボランティアが集まりました。

我が方からは妻とその姉が、さらには知人の美女軍団がさっそうと加わりました。

太い道路沿いには意外とゴミが少ないと感じましたが、細い道には様々な物が落ちていました。

自転車やカギ数種類、自動車免許証など、大事な物も捨てられていました。

駅近くで多かったのはたばこの吸い殻で、次にガム。

血眼で探したお金は、誰も拾うことができませんでした。

やはり不景気なのでしょうか。

幼なじみの再会

2009.12.13.02:37


10月を過ぎてから、同窓生の交流が活発になってきました。

そんな中で、何となく気運が高まり中学校の同窓会をやろうということになりました。

手始めに、今回は幹事が連絡できる範囲で、小規模に開かれました。

集まって話しているうちに、同じ町内の幼なじみと昔話に花が咲きました。

「クリスマスパーティを、うちの本堂でやったこともあったわ」と回想するのは土浦へ嫁いだお寺の次女。

「知らなかった。で、それは何年生の時?」

「高校3年生の時かな。で、住職であるお父さんに見つかって、みんな出入り禁止になったの」

「その頃から、非常識なことやってたのか」

同級生ですから、ズケズケと言い合います。

みんな還暦が迫っているのですが、気持ちだけは昔のままです。

同窓生っていいもんですね!

Mito道場オープン

2009.12.12.01:25


いろいろな仕事をする際、必ずコツがあります。

コツを知っているか知らないかで、結果は大きく違ってきます。

私が続けているブラジリアン柔術は、身体を動かすコツの固まりです。

力の弱い者、身体の小さい者が、大きな者や力の強い者を制する格闘術です。

恐竜をアリが倒す技術です。そして、自分に克つ心の在り方です。

これまで土浦onlyでしたが、このほど水戸道場のオープンとなりました。

水戸中心街のビル4階で、昭和ロマンのプンプンするモダンな建物の中です。

写真は、左からノヴァ柔術総帥・黒帯阿部CEO(奥さんは坂本九ちゃんの長女)、青帯タコーニョ(三角締めの使い手)、紫帯今泉、青帯フジワラ(小さいけれど滅法強い)。

水戸の街では、柔術道場もまち起こしの一つと期待されています。

熊岡美彦の生家

2009.12.10.21:48


茨城が誇る洋画家の一人・熊岡美彦の生家は、市内青木町にありました。

その実家は3町歩の工場敷地を持つ熊岡製糸でした。

大きな製糸工場は明治末の生糸の大暴落で傾き、倒産しました。

美彦は、石小~土浦中学(現土浦一高)~東京美術学校(東京芸大)と進み、兄たちの援助でやっと卒業しました。

製糸工場はその後、小口製糸~神栄製糸と変遷し、跡地は市のイベント広場となっています。

写真は、昭和10年ごろの小口製糸の倉庫で、繭の大カゴがうずたかく積まれています。

当時の石岡は古河に次ぐ製糸の地、多くの女性の工員たちで街は賑わっていました。

市の議会事務局内には、美彦の力作「大洗風景」が飾られています。

御幸通り

2009.12.10.00:24


石岡に来た最高の有名人といえば、昭和天皇となるでしょう。

石岡には二度来ています。

最初は、昭和5年の陸軍大演習で、このときにあわせて八間道路が整備されています。

二度目は、昭和21年11月にアルコール工場と石岡二高を訪れています。

アルコール工場で陛下は、「今の生活は苦しいでしょううが何とか切り抜けて下さいよ」

と工員にと語りかけると「ハイ」 と工員は感激の余り暫く言葉もなく固くたたずむだけでした。

写真は、昭和10年頃の八間道路、天皇陛下の通った道なので、「御幸通り」と呼ばれていました。

街並みもモダン、歩く人もモダン。

良い時代でした。

徳富蘇峰の扁額

2009.12.08.23:35


正岡子規が石岡に泊まった6年後の明治28年、石岡に鉄道が敷かれ石岡駅がオープンしました。

とはいっても、当時は常磐線ではなく、日本鉄道土浦線という私設鉄道でした。

明治34年に磐城線~水戸線~土浦線~隅田川線が一本化され、海岸線と呼ばれたそうです。

常磐線の名はその数年後からで、上野駅までは3時間もかかりました。

現在の石岡駅舎は、昭和初めに天皇陛下行幸にあわせ建て替えらました。

モダンな建物で、昭和ロマンの雰囲気が漂っています。

そして、改札口の上に掛かる「石岡駅」の扁額は、当時の偉大なジャーナリスト徳富蘇峰の書です。

これを知る人も少ないため、だんだん忘れられようとしています。

橋上駅の計画もあるようですが、この額はぜひ生かしたいですね。

正岡子規の泊まった宿

2009.12.08.00:32


「石岡の香丸町に、正岡子規の泊まった萬屋という旅館があるというけど、分かりますか」

夜、とある会社の会長かさんら問い合わせがありました。

「子規の水戸紀行にある宿屋ですね」

確かに正岡子規は、明治22年に水戸の友人を訪ねて石岡に泊まっています。

その場所は今のカギヤ楽器店で、子規は萬屋を「石岡の第一等の旅店なり」とほめています。

さらに「美しくはあらねどもてなしも厚き・・・・。枕の底へいたづら書などす」と記しています。

子規のいたずら書きした枕が、いま残っていれば相当な価値があるでしょう。

写真は昭和初期の香丸通り。右側に仁瓶薬局~桝屋綿店があり、その次が鍵屋玩具店です。

それにしても、モダンな街並みはいいようのない風格が漂っています。

浅間山のほこら

2009.12.06.21:36


私の住む弓弦は、浅間山のふもとにあります。

浅間山は標高354mの低い山ですが、山頂には石のほこらがあります。

昔から信仰の対象になっていて、地元では元旦に山頂まで登り初詣をする習慣があります。

低いといっても登るのは楽ではありません。

上り坂の途中に中宮という休憩所があり、ほとんどの人がここで一息つきます。

山頂のほこらの一角に一升ビンが埋めてあり、元旦にはそれを掘り出してみんなで飲みます。

もちろん、飲んだ後は新しいビンを埋めて帰ります。

あと3週間ちょっとで、あのおいしいお酒が飲めるのかと思うと楽しみです。

埋めておくと味わいが変わるのです。

興味ある方は、ぜひ参加ください。元旦の6時30分頃から山頂目指して登り始めます。

薬師古道の遠望

2009.12.05.22:18


つくばねの森林(もり)めぐりのモデルコースが薬師古道です。

菖蒲沢の山中にひっそりとある巨大な薬師像とそれをまつる寺院。

最初一人でヤブをかき分け、しばらく歩いた末に目にした光景は圧巻でした。

筑波四面薬師の一つですから大きいと思ってはいましたが、これほどのものとは思いませんでした。

しかも広大な境内です。

荒れた山道を切り開き、坂道に丸太を並べ階段状にしました。

高く見晴らしのよいところに「龍神」という水の神様をまつった岩屋がありました。

そこは絶景の高台で、柏原工業団地や水戸の県庁までが見渡せます。

写真は、2年前の元旦に家族で登ったときのものです。

向こうに見える山は、弓弦の浅間山(354m)です。

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